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Change Makers ライ&ジョシ

2011 年 APS 卒業のネパール出身のライさん(Sharad Chandra Rai)と、 ジョシさん(Dinesh Prasad Joshi)のお二人は別々の農 村地域出身でしたが、ネパール政府の奨学金によりカトマンズにある優秀なボーディングスクールで共に学ぶ機会を得 た後 APU に入学されました。「ネパールの全ての子供達に等しく学ぶ機会を」という願いを形にするために、APU 卒業 後ライさんは東京大学、ジョシさんは国連大学の大学院に進学、現在東京で NPO 法人「You Me Nepal Trust (夢ネパール トラスト)」を立ち上げて、農村に小学校を建設したり、既存の学校への教育支援を行うなどの活動をしています。「貧 しい農村に生まれましたが、国の奨学金で高校に行き、APU の奨学金で日本に留学することができました。今度は自分 達が国の子供達への教育支援を通して恩返しする番です」 「自分のため、ではなく自分を必要とする人のために生きたいと思います」と明るく語るお 2 人が始めた活動は、多く の人々の共感を呼び、着実に実をむすびはじめています。「目先のこと」「自分のこと」「お金のこと」ではない新しい時 代を開く価値観によって、願いを形にするために頑張っている校友達をこれからもぜひ応援したいと思います。

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Sharad Chandra Rai (APS 2011) and Dinesh Prasad Joshi (APS 2011) were born in different villages in Nepal. They were brought together by a scholarship offered by the government of Nepal to study at a prestigious school in Kathmandu. Their journey together continued when they enrolled as students in APU. Upon graduation, they continued in pursuit of their dream to provide equal education to students in Nepal. Towards this end, they both decided to pursue further education, Sharad going to Tokyo University and Joshi to the United Nations University. They joined forces to create the NPO “You Me Nepal Trust”, whose activities include building schools in rural villages and offering learning support to school-going children among other projects. Asked about their motivation, the two replied, “We were born in disadvantaged villages but thanks to the government’s scholarship programs, we were able to attend high school. Thanks to the kindness of APU in offering us scholarships, we were able to study overseas. Now it is our turn to return the favor and use education as a tool to give back to the children of Nepal”. Their efforts have garnered great support from many individuals and groups, and is gaining momentum. We hope to continue supporting graduates who continue to commit themselves to improve society and build a better future for coming generations.

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Source: f629902d6c46e030fc87379d99dddf9c

本紙記事がきっかけ、ネパールに600万円寄付

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産経新聞の多摩・東京版に(2014年)1月14日付掲載の記事「ネパールに日本式教育を」で同国の教育施設の窮状を知った港区の医療関連会社「TKB」の佐多保彦社長が、小学校建設費用として600万円を寄付した。都内で開かれたTKBグループ創立60周年のパーティーで小切手の目録を授与した。  記事をきっかけにネパール人留学生のライ・サラド・チャンドラさんと会った佐多社長は「この人ならと支援を決めた。現地の子供の勉強の環境が少しでもよくなれば」と話す。目録を受け取ったライさんは「この善意によって、老朽化して浸水する古い木造校舎をコンクリートの立派な校舎に変えることができる」と感謝していた。  校舎は小学校に保育園を併設し約200人を収容する設計で11月ごろの完成を目指すという。

出所:産経新聞

第3回「僕たちが故郷に学校をつくったわけ~国に恩返し~」

ほぼ日
遠いカトマンズの学校に入ったのは、
4年生ですから、9歳か10歳の頃だったんですね。
ジョシ
はい、そうです。
ライ
そこから家族と離れて
ぼくたちはひじょうに勉強しました。
学校から外には出ません。
家には年に2回か1回だけ帰れました。
その学校には、小学4年生から高校2年生までの
生徒が通います。
高校を卒業するまで、学費も、
食べものも服も全部、
国に出してもらいました。
ほぼ日
年に1度の里帰りのお金ももらえるんですか?
ライ
それも出してもらえました。
合格してから、ずっと、国に
めんどうをみてもらって
ここまで勉強をすることができました。
だから私たちはいま、
国に恩返しという理念を持って、やっています。
ほぼ日
そういうチャンスをおふたりに
国が与えてくれた、ということになるんですね。
ライ
はい。
もし国がお金を出してくれてなかったら、
私たちもマレーシアやアラビアで
はたらいていた可能性が高いと思います。
これからは私たちは国に返さないといけない、
そう思いまして、考えていましたんですけれども、
どうやって返せばいいかわかりませんでした。でも、日本に来て
いい教育をもらいました結果、
いい学校をつくれば、
子どもたちが私たちのように
はたらくためにではなく留学をしに
海外に行くことができるかもしれないと
思うようになりました。

そうして私たちは、学校を設立しました。
2011年のことです。

最初は村の方々と一緒にお金を集めました。
25万円ぐらいです。
そして、最初の校舎をつくりました。
村の方々のおかげで
土地も安く買うことができました。

ほぼ日
資金は、日本で寄付を
集めたのではないんですか?
ライ
最初は、寄付の制度も
まったくわかりませんでしたので
それはしませんでした。
学校を建てよう、と思いついたとき
お金がなくてもはじめよう、
それは何とかなるんじゃないかな、と
ぼくたちは思いました。
結局、自分たちがアルバイトしたポケットマネーと、
大学の先輩たちにお願いして
2000円、3000円ずつぐらい集めました。
それが10万円くらいになりました。
村の方々からも、ありがたいことに
15万円ぐらい集まりました。
そして、木と竹で学校をつくりました。
ほぼ日
先生はどうしたんですか?
ライ
先生は、最初はひとりだけお願いしました。
この学校が成功するとは
村の方々は誰も信じていませんでした。
でも、先生としてやってきた彼女は
これを成功させると思っていました。
まずは10人ほどの子どもたちが入学しましたが、
先生は最初の9か月間、
ボランティアで教えてくれました。
まわりの人たちにいろいろ文句を言われても、
彼女は続けてくれました。
ジョシ
その彼女も
「いろんな人にお世話になったから」
と言っていました。
ライ
その後、私たちは、この学校の中身とインフラを
徐々によくしていき、
ネパールに帰るときに日本人の友人を
いっしょに連れていって紹介したりしました。
そうしているうちに、村の人々からもゆっくりと
信頼をもらいはじめることができました。
いまは期待をもって、考えてくれています。
ほぼ日
これは、日本で言う学校法人など、
政府の教育のシステムに組み入れてやるための届け出や
法的な許可を出してやったことなんですか?
ライ
それが、最初はなかったんですよ。
ほぼ日
ああ、最初は塾のような学校だったんですね。
ライ
そうですね。
私たちは日本にいましたので、
その準備はできなかったんです。
ほぼ日
おふたりは当時大学生だったわけですものね。
すごい。
「とりあえずやっちゃおう」ということですね。
ジョシ
現地の子どもたちが
英語で授業を受けられるようにしましょう、
という課題がすぐにあったから、
誰の言うことも聞かなかったです(笑)。
じゃ、スタートしよう! という感じで。
ほぼ日
子どもたちは、
政府の学校には通っていなかったんですか。
ライ
政府の学校に行っていました。
学校に行ったあとに、
私たちのその学校に通ったりしていました。
最初はほんとうに大変でした。
私たちは日本で学生をしていましたから、
現地に行こうとしてもなかなか行けませんでした。
ですから、いろんな方々にもお世話になりました。
学校の制度としては
いまでも未完成なままなんですけれども、
でも、ひとつだけ、ルールを守ろうと思いました。
それは、時間を徹底的に守ること。
それまで学校では、時間は誰も守らなかったから。
みんな勝手に来て勝手に帰る。
子どもから大統領まで、誰も時間を守らないんです。私たちは、日本に来て、
時間を守ることの大切さがわかりました。
ですから、自分たちがつくった学校では、
先生と子どもたちが時間を
しっかり守ることがきまりです。
誰も時間を守らないところで、
私たちの学校の子どもたちだけが時間を守ったら、
それは奇跡ですから。

ジョシ
いま、そのことで
ぼくたちの学校は有名です。

 

第2回「僕たちが故郷に学校をつくったわけ~国に恩返し~」

ライ
ネパールの政府の学校は全国にあります。
いまは35000校ぐらいあります。
この、政府の学校の特徴は、
先生が遅刻することです。
これはもう誰も問題とは思っていないです。
先生の遅刻は40年前から続けられている
文化なので、当たり前です。
ぼくもそういうふうに思っていました。先生の能力は低く、
図書館は99.2%の学校にはありません。
図書館という言葉も、みなさん知りません。
学校のマネジメントも悪いです。ネパールでは、先生たちが政府や政党と
つながりがあるので、
校長先生が「学校をよくしよう」とがんばっても
ほかの先生が党の方々に手をまわして
クビにしたりできます。だから、学校を
マネジメントしようと思ってもできないです。
じつはぼくのお父さんも校長先生を
やっておりましたんですが、
同じことが起きました。
しっかりやろうとしたら、
違うところに行かされました。

そして、ほんとうにびっくりするのは
教育に政府が無関心だということです。
文部科学省がこれをぜんぜん問題と思っていないんです。
思っているかもしれないんだけど、
何も行動を見ることができません。

ほぼ日
みんなが問題だと思っていないし、
思っている人がいたら、排除される‥‥?
ライ
私たちは、日本に来て7~8年になりました。
日本だったら、どうですか。
ひとりの子どもがちょっと大きな問題を起こしたら、
それはもう新聞からテレビからラジオから、
すべて報道されて、話題の中心になる。
ネパールの新聞はもうそんなこと、
ぜんぜん問題にしません。
どんな大臣がどこに行って何を言った、
ニュースはそればかりです。
まだ憲法ができていないです。
そして、小学校の1年生の入学金が‥‥。
ほぼ日
高いんですか。
ライ
高いです。
6年生になったらみんな学校をやめちゃう。
ほぼ日
先生が学校に遅刻してくるようじゃ‥‥。
ライ
ぼくもそうだったんですが、
ネパールの田舎では、通学に
たいてい1時間半から2時間ぐらいかかります。
学校は10時から。
家は8時頃出発します。
朝ごはんとかもあんまり食べずに出ます。
山をてくてく登って学校に行くと、
先生がいない。
週に3~4回ぐらい先生がいない。
またすぐ家に戻らなきゃいけなくて、
1時間半ぐらいかけて山を降ります。
そうすると、やっぱり
「今日も先生来てないかな」
と思うようになってしまいます。
ほぼ日
お父さんお母さんも、
もう行かなくていいんじゃないかな、と
思ってしまいますね。
ライ
お父さんとお母さんが
基本的に勉強していないので、
学校のことはわからないんです。
先生に任せているんです。
何もわからないので、
先生たちに厳しくすることもありません。
ですから、子どもたちは
学校に行く意味がわからなくなります。
読み書きができればいい、それだけです。考える力とか、生きていくための技術、
そこまで学校で身につけることはありません。いちばん大きな壁は、高校にあがることです。中学の最後に、全国で
中学校卒業試験があります。
この試験に合格しないと、高校へ行けないのですが、
毎年30万人ぐらいの生徒が失敗します。

ほぼ日
毎年30万人が失敗する試験ですか。
ライ
失敗です。高校に行けなくて、
また来年を待たないといけない。
来年、また同じ試験を受けるんですが
また80%が失敗します。
ただし、私立の学校に通っている子どもたちなら
確率が高くなります。
逆に、80%ぐらいが合格します。
ほぼ日
すごい差ですね。
ライ
ネパールは基本的にそうなんですけれども、
私が子どもの頃通っていた学校は
小中高が同じ場所にあります。
私の母校の子どもたちが
2年前に試験を受けたときは、
中学の卒業生が70人いましたが
合格者はゼロでした。みんなが高校に行けなかった。
また同じ学校で1年間待って、
同じ先生、同じ学校、同じ教え方、同じ本、
結果は同じ。
試験の前からあきらめています。
ほぼ日
その試験はすごく難しいんですか。
ライ
いや、ぜんぜん難しくない。
100点満点で32点取ればいいんです。
ほぼ日
だから私立の子はみんな行けるんですね。
ライ
政府の学校に通っていた子どもたちは
読み書きしかできないので、
試験に出ることを教わっていないんですよ。
先生方も試験を受けたら
失敗する可能性もあると思います。
ほぼ日
そんなに‥‥。
ネパールではどうやって先生になれるんですか。
ライ
試験などもありますが、
たとえば10年、15年ぐらい前に
先生になった方々がどういう経緯で先生になられたのか、
ぼくたちにはちょっとわかりません。
読み書きできる人がそんなにいなかったこともあり、
高校出た人々は簡単に先生になれた、という
状況もあったと思います。
いろんな党とつながりもあるので、
その党の力を借りて先生になるというケースも
あったことでしょう。ぼくは、帰国したときに
母校の合格数がゼロってどういうことだ、
と思って、校長先生に聞きましたら、
「今回は試験の会場で試験監督が厳しく
カンニングさせることができませんでしたので、
今回はみんな失敗しました」
と言いました。
以前はみんなカンニングができていたんですが、
今回はそんなことがありましたので、
という答えです。
反省など、何も、まったく、していない。
やっぱり問題は大きいです。いまお話したことは、
「私たちがなぜ学校をつくるのか」
というひとつのストーリーです。
こういった現状がある政府に、
私たちの子どもたちの将来を任せてはいけない。
任せたら、
いまの子どもたちのお父さんにとって
アラビアやマレーシアが
目的地だったように、
いまの子どもたちも同じ道、
同じ生き方しないといけないんです。私が生まれたのはコタン郡の小さな村です。
首都から遠い場所。
ジョシくんが生まれたのは、反対側のバジャンで、
そこも首都から遠い場所。
ぼくたちは、10歳のときに
カトマンズの真ん中で出会いました。

そうです、10歳で、
ぼくたちの運命が変わりました。
ぼくたちは入学試験に合格して、
小学4年生から
カトマンズにある、いい学校に
通うことができました。

ほぼ日
4年生で?
ライ
はい。その学校は4年生に入学するんです。
イギリス政府と、
ネパールの当時の王様が一緒になって
つくった学校です。
国際レベルの学校でしたので、
入学はなかなか難しかったんです。
何万人が試験を受けて、たった99人が選ばれます。
その中の33人が、奨学金をもらうことができました。
その33人の中で、ジョシくんは、
ジョシくんが生まれたバジャン郡の受験生として、
ぼくは東のコタン郡からの受験生として入学し、
奨学金をいただきました。
ぼくたちは、ともに、お父さんやおじいさんが
校長先生であり、
学校ではなく、家で
勉強をすることができたのです。
出所: http://www.1101.com/ikirubasho/event/index.html
ほぼ日刊イトイ新聞

ハーバード生もYouMe小学校にヴォランティア

image ハーバード大学博士課程在学中のクンダンさんにYouMe Nepalのメンバーたちが会いしました。クンダンさんは3月2日と3日YouMe 小学校にボランティアする予定があります。
हार्वर्ड विश्वविधालयमा PhD गरिरहनुभएका हाम्रा मित्र कुन्दन चौधरी लाई भेट गरे ! कुन्दन मार्च 2 र 3 तारिख युमी स्कुलमा जाने कार्यक्रम छ !