2018.05.26
2018年3月、大学生のHarueさんが、コタン校を訪問してくれました。
以下は、彼女の訪問記です。是非ご一読ください。
Q. 参加に至った経緯は?どんな経験を求めて参加されましたか?
私がYouMe Nepalと出会ったのは5年前、高校3年生の頃でした。
私の通っていた塾に、ライ君が来てネパールの現状を教えてくれました。お話を聞いて同年代の子でも、出稼ぎに行って亡くなって帰ってきたり、生まれた環境によって未来があまりにも変わってしまうことを知り衝撃を受けました。
そして、ライ君の「教育が国を変えて未来を作る」という強い言葉に心が震え、私も状況を変える為に行動したいと考えました。
その強い思いを胸に、受験が終わったメンバーを集めて、YouMe Scoolの子供たちに手紙を書いて鉛筆を届ける活動をしました。拙い英語と少しのネパール語で書いた手紙に、YouMe Schoolの子供たちは返信をくれました。その時、遠い存在だったネパールの子どもたちと心を交わすことができました。そして必ずネパールに行って手紙を書いてくれた子と会うという約束を心の中でしました。
大学生になって、「国を変えてしまう程のインパクトのある教育という分野で、本格的に途上国と関わりたい」と思い、カンボジアの教育支援をする団体に入りました。
それからは、毎回の休みにカンボジアを訪れ、頭の中にいつもネパールがありながら行けていませんでした。
大学を卒業するまでにネパールに行かないと後悔すると思い、久しぶりにライ君と連絡を取って学生最後の長期休暇を使ってYouMe Schoolを訪問させてもらうことにしました。
Q. コタン村のYouMe School訪問や現地の人々との交流、ホームステイの経験は?
【生活】
・カンボジアで農村生活に慣れていましたが、お風呂はなく、1週間に1回水浴びをしたり、毎日1時間以上かけて道無き道を登り登校したり、毎食ダルバートという生活には驚きました。(カンボジアでは一日に3回くらい水浴びをして、登校に1時間かかったとしても平坦な道で、屋台があり食のバリエーションは豊富でした。)
・一番驚いたのは市場がないことでした。食べ物は近くの家で融通し合っていると聞き、地域の繋がりが深いのだと感じました。
・一番幸せだった時間は、家族みんなでモモを作った時でした。皮を作る人がいて、中身をつめる人、蒸す人がいて、できたてを食べながらまた作って。明るくて温かい部屋に集まって団欒の時を過ごすのは、素敵な習慣だと思いました。
・ 帰り道に見た夕焼けがとてもきれいでした。真っ黄色に染まった太陽と空が赤に変わっていく。暗くなってしまったら帰れなくなる不安に押されながらも、あまりの美しさに立ち尽くしてしまいました。日本ではゆっくり夕焼けに見とれる時間も心の余裕もありません。コタンでは手つかずの自然が広がり、生活に密接していて人間の原点に戻った心地がしました。
【学校・子供たち】
・住み込みの子供たちがよく働くことに驚きました。カンボジアで語学塾を運営していたのですが、住み込みスタッフはすぐ遊んだり、頼んだ仕事をいやがったり大変でした。(それでもかわいいのですが)ライ君の実家に住むタナカとビサンは誰よりも早く起きて家畜の世話をしたりご飯を作ったり。とても立派でした。
・3時間かけて厳しい山登りをしてまで勉強したいと言う子がいることに驚きました。
一歩足を踏み外せば命の危機にあるような危険な道を毎日歩く姿に心打たれました。
・朝礼で、クラスの代表が号令をかけていたり、生徒自身でクラスをまとめる環境があることが素晴らしいと思いました。
・手紙をくれた子とは会えませんでしたが、その子がどんな環境で生きているのか、どんな思い出書いてくれたかが感じられたのでとても嬉しかったです。
Q. 今回の訪問で得たこと。
・合計5時間半の山登りを経験して、体力がつきました(笑)
・往復6時間かけて登校している、成績優秀な子に「なんで日本人は英語が下手なんだ」と言われました。私は、その子にとってはうらやましいくらい英語を勉強する機会には恵まれていたのに、環境を活かす努力をしてこなかったことを恥ずかしいと思いました。
当たり前だと思っていた環境に感謝して、努力をしようと考えられるようになりました。
Q. YouMe Nepal に向けてメッセージ
高校生の時以来ご無沙汰していた私を受け入れてくださり感謝しています。
私の母校(高校)で講演をして下さいとお願いをしたら、迷わず実行してくれる柔軟さがすごいなと思います。
ライ君の真剣な思いに触発して集まった皆さんが、得意なことを活かして同じ夢に向える素敵な場だなと感じました。
これからもできることがあればお手伝いさせてください。宜しくお願いします。